『カノホモ』、『御徒町カグヤナイツ』を読んで
浅原ナオト著、『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』、『御徒町カグヤナイツ』を読んだ。
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』、これはNHKで放送されている『腐女子、うっかりゲイに告る』の原作小説である。2018年に映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開され、クイーン人気が高まる中で放送されBGMがクイーンを使っているということで話題になっがたが、原作者のツイートを確認すると、件の映画公開前からドラマ化の話が出ており、タイミングとして偶然重なったものである。また、これは元々、カクヨム内で連載されており、2018年2月21日に角川書店から単行本化されたものだ。
完全にお節介ではあるが、いわゆる「便乗目的」でドラマ化されたわけではないことを、著者、出版社、そしてNHKの名誉のために明言しておこう。ただ、いい具合に波に乗れたこと、その余波が私のところまで寄せてきたことは僥倖であった。
彼女が好きなものはホモであって僕ではない - 書籍化・映像化・ゲーム化作品
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』
これについては、改めて『腐女子、うっかりゲイに告る』とあわせて詳細に書こうと思うのだが、読後感として、思い出したのはトーマス・マンの『トニオ・クレーガー』だった。
『トニオ・クレーガー』はともすれば、「芸術と市民性の対立」という二元論的な文脈で語られがちだが、あれを初めて読んだのは自分が高校生の頃で、トニオに対して自分自身をそして著者のトミーに対して大きな共感、それ以上に自己との同一化をはかるくらい、感情移入したものだ。ある程度の教育を受け、教養は持っていたが、思春期の自分にとって、それは「芸術と市民性の対立」よりも生命の輝き、羨望、憧憬、そして究極的には愛の方にこそ惹かれた。
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』には、どこか『トニオ・クレーガー』に似たものを感じた。文体の品位、典雅さ、ライトモチーフの効果的な用法では『トニオ』に軍配を上げざるを得ないが、その『トニオ』に欠けていたもの、若さ故の粗雑さ、外へ向けた敵意いっぱいの野蛮さ、そして突拍子もないほどに直情的で痛々しいほどに純粋な眼差し、これについては『カノホモ』に軍配を上げたい。では、何が似ていたのだろうか。きっと、トニオも純も高校生の自分そっくりだったのだろう。矛盾や葛藤の中で、エロースとタナトスそれぞれの誘惑に引っ張られていたあの時期特有の脆さ、危うさだろう。
そもそも、トミーと浅原ナオト氏にはそれぞれ別の視点、背景があるので、上記の感想はあくまで、私個人の感想でしかないことも記しておこう。
『御徒町カグヤナイツ』
これは、前作から格段にドラマトゥルギーの点で巧みさを増している。仔細は省くが御徒町(周辺)という、限定された空間で起こる思春期の子どもたちの冒険譚は、前作の舞台の匿名性を超えて、より具体的かつ物語への没入感を平易にしてくれている。それは、単純化といった稚拙なものではなく、「街」そのものが持つ「有機的」な側面が、物語の中でより濃密に活写されることにより、舞台背景を(実際にあの周辺エリアに行ったことがなくても)分かりやすくしてくれている。さらに、その「有機的」な環境が主人公に与える影響という点でも、前作よりはるかに効果的に働いている。
個人的にトミーが好きな理由は『ブッデンブローク家の人々』や『ヴェニスに死す』、一連の『ヨゼフとその兄弟』など舞台となる「街」が単に舞台装置であるだけでなく、明示的、暗示的、ときに能動的に物語へ介入してくるからだ。
そういった意味で、個人的にこの『御徒町カグヤナイツ』は非常に親しみを持って接することが出来た。詳しくは書かないが、中には人によってグロテスクと感じるエピソードもあるので、それは人によって好みが別れるところではあるだろう、ただ、「生々しさ」という意味でいうなら過不足ない。
基調和音
さて、2作を読み終えて、このふたつに共通している基調和音は何かを考えてみた。
- 音楽
- 家族愛
- 社会への反発
- 和解
音楽というのは、『カノホモ』ではクイーン、『御徒町』ではブルーハーツが背景音楽として常に流れている。これは、能動的に物語へと介入してくるわけだが、正直に私見を述べると『カノホモ』では能動的過ぎると感じた。『御徒町』では、はじめ受動的な形で主人公の耳に流れ込むようになり、物語後半では前回よりもむしろ能動性が自然にまた必然的な形で物語の中へ溶け込んでいる。
家族愛、これははじめ、「母性」と書こうとしてやめた。主人公の母は、社会的、経済的境遇が比較的似ていても完全に同じではない。ただ、主人公である息子へ向ける眼差しは愛に満ちていて、それ故に理解出来ないものへの葛藤が前作では描かれていた。2作目ではこの葛藤が、むしろ主人公の側へと移っていたように思う。では何故、「家族愛」にしたのかというと、父親の存在、もしくは不在が思春期の登場人物たちにとって、「母性」と同等に人格形成の上で必須だったからだ。これは、和解にも関わるので、また後述する。
社会への反発、これは少し内容について触れざるを得ないが『カノホモ』の主人公は家族を持つ中年男性と不倫関係にある。この場合の社会とは、同性愛に対して不寛容であり、偏見を持った社会のことでありそれに対する反発である。対して、『御徒町』で描かれる社会とそれへの反発は登場人物たちそれぞれが生まれ育った家庭環境、そして中学生が無条件に感じるルサンチマンに起因している。前者の主人公は高校生、後者の主人公は中学生ということもあるので単純にまとめたくはないのだが、「思春期らしい対立」であると言っていいだろう。
さて、和解、である。これは、和音の中でも主旋律を担っていると言ってもいいかもしれない。『カノホモ』の和解は三浦さんを中心に多様性を認め合い、それどころか、主人公の純自身が内的に抱えている自己矛盾と向き合い、周囲に背を押される形で自分自身とも、また社会(あくまで彼の周囲の社会)とも和解していく。『御徒町』では、月のお姫様ことノゾミが中心となってヒロトたち騎士団の面々が、それぞれに抱えている「何か」と対峙し、反目し合いながらも和解の道を模索していくのだ。先述した家族愛もまたその和解の中に含まれている。
月が綺麗ですね
いまさら説明するまでもないだろうが、夏目漱石が残した言葉と言われている。両作の舞台として、不忍池が出てくる。不忍池は何も漱石の作品だけに出てくるわけではないし、鴎外も川端康成も描いている。ただ、『御徒町カグヤナイツ』を読み終わったあとで、彼を思い出したのは、別れた妻とよく月を見上げてはこの言葉を交わしていたからだ。
月というと、どうしても夜の煌々と光るそれを思い浮かべるだろうけれど、あの衛星は晴れ渡る快晴の昼ひなたに薄い灰色がかった姿を見せる時がある。私と妻だった女性との関係はもう終わったことなので、感傷的になることはないが、夜の煌めいた月とは違う昼の月を見かけるとき、私はそれでも彼女への愛が不滅だと思う。それは、よくは見えなかったとしても確実にそこにあるのだ。たとえ、我々の人生に交点がこれから先になくても構わないし、いやむしろなくて良い。ただ、『御徒町』は、個人的に戻れない昔日にほんの少し後ろ髪を引かれるような作品で、実に愛おしかった。
最後に
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』、『御徒町カグヤナイツ』、まだ自分自身の思春期だった頃の思い出、また著者の浅原ナオト氏の表現についての詳細な感想を語り尽くせてはいないのだけれど、いつか改めて個別に書こう。それぞれの作品に何を感じるのか、どう考えるのか、それはきっと読者の方々によって全く違うだろう。
ここに書いたのも、しょせん私見だ。
NO MORE映画泥棒 そう NO MORE
皆さんは、この動画を見たことがあるだろうか?そう、劇場で映画が始まる前に流れる広告だ。
これは、2014年に更新されたものだが、パトランプ男とカメラ男は2007年からこのやり取りを続けている。この2014年に公開された第4弾となる動画ではさらに、ジュース男とポップコーン男が登場している。
問題。この4人の登場人物の中で、あなたはどの立場にいるだろうか?
先に答えを言っておくと、これに正解はない。
彼の立場にある人物は、もしかするとあなた自身かもしれない。例えば、自宅で飼っている猫の写真を撮ったとしよう。これをSNS上にアップロードした瞬間にあなたは、この写真の著作権保有者になるのだ。
これは、実に可愛らしい我が家の梅(メス)である。仮にこの写真を見た他の誰かが、あなたに承諾をとることも、ましてやあなたの撮影した写真であることに言及せずに、自分の投稿としたとしよう。それを発見したあなたは、パトランプ男になるべきである。もちろん、相手とやり取りをした上で解決したなら、それでいい。
- カメラ男
彼の立場にある人物は、もしかするとあなた自身かもしれない。著作権保有者に許可も取らず、画像や動画を盗み撮りするのだ。もちろん、彼のような人物は極小数なのだが。
- ジュース男
彼の立場にある人物は、もしかするとあなた自身かもしれない。映画館で、カメラ男とパトランプ男のやり取りを見かけたことがあるかもしれない(実際にはそういうことはないだろうが)。迷惑千万と気分を害して友人(と思しきポップコーン男)と一緒に家に帰るのだ。しかし、ここからが問題で、彼は違法にアップロードされたものと知りながらダウンロード行為を行い、パトランプ男の御用となるのである。
- ポップコーン男
彼の立場にある人物は、もしかするとあなた自身かもしれない。
お分かり頂けただろうか、この4人の登場人物の中で唯一"単純に迷惑を被っている人物が誰か"。ポップコーン男である。
映画館ではカメラ男のせいで、自宅なのか友人宅なのかはわからないが、そこではジュース男のせいで、騒動に巻き込まれているのだ。
私はポップコーン男でありたい
私は出来ることならこのポップコーン男でありたいと思う。しかし、実際のところ自分がそういられる可能性は実に希薄だ。
率先してカメラ男になる人はいないだろうが、無自覚にジュース男になっていたり、パトランプ男にならざるを得ない場合がある。
これは、かなりのジレンマなわけだが、楽しみを共有したくて、また素晴らしさを共有したいがために、自身が著作権を保有していない動画をアップロードしてしまうと、残念ながら、あなたはもうパトランプ男に追いかけ回される身になる。
なぜこんな話をしているのか
単純に身の回り(Twitterランド)でよく見るからだ。別に、私自身が保有していない著作物を他の誰かが権利保有者に許諾を得ずに流布していたとしても、わざわざ私は通報したりしない。あまりにも酷い場合、たとえば、Youtubeで違法にアップロードされている動画のリンクを貼って誘導したりしている場合は、例外だが。
たとえば、映画があるとしよう。地上波でもCSでもいいがテレビで放送されている。「見られない方へ」と言って、Youtube上で違法にアップロードされたその映画のリンクを貼るという行為(この場合アップロードされた国の法律なども関わってくるので、厄介ではあるが)がなされたとしよう。それは、放映権を購入して放送しているテレビ局に対する業務妨害である。ただ、この場合リンクを貼った人物はカメラ男でもジュース男でもないのが厄介な話だが。
ちなみに、昨日の記事で取り上げたジョージ・マイケルの動画は既に削除されている。出来ることなら、本当にちゃんとした形で商品化して欲しいと思っているし、公式動画としてアップロードして欲しいと思っている。尚、既に削除されているとは言え、私もあの動画へ誘導していた時点でかなりグレーなのだが。
動画だけではない。静止画でもそうだし、音楽でもそうだ。また、著作権と共に肖像権の侵害という行為もある。
以前タイムラインで見かけたのは、自作の絵が第三者の手によって勝手に商品化されて売られているという事例だ。「対応中につき大事にはしないで」と言ったような文言が添えられていたので、あえて詳らかにはしないが、その方は、海外のアーティストの絵を描いている。それも、肖像権侵害とならないように、権利保有者の方にちゃんと事前に確認をとった上でだ。
それが、海外の業者に無断で転用されてしまったために、権利保有者の方へも丁寧な説明が必要だと嘆いていた。
くどくなったな....
声を大にして言いたい。
とりあえず、ボヘミアン・ラプソディの動画やNHKなどのテレビ局からメンバーが受けたインタビュー映像をYoutubeにアップロードするのは、ただちにやめなさい。Twitter上にもです。あと、ガンダム、ガンダムの映像もだ。何回も劇場に足を運んだんですよね?その度にNO MORE映画泥棒の広告見ましたよね?じゃあやめなさい。本当にいい加減にしなさい。
まあ、先程も言いましたが、そんなに厳しくパトランプ男になりたくなんかありません。出来ることなら、ポップコーン男でいたいです。別に、写真をダウンロードしてきてコメントを添えてツイートしているものにだって、いいね押しますよ僕も。GIFもね。うん、別にそんながっちがちに「これは著作権法違反だからやめなさい」なんて個別に喚いたりしませんよ。楽しめる範囲で楽しみましょうよ。僕は基本、公式動画のシェア機能を使いますけどね(たまにね、素晴らしいパフォーマンスがあるんだけど、シェアしたくても公式動画じゃないからシェア出来ないってのもあったりするのよ)。ただ、その楽しみ方も節度とかは守りましょうね。背徳感を覚えましょうね。ちなみに、以前は親告罪でしたが、2018年の12月30日に法改正が行われ、著作権法は非親告罪になりました。著作権保有者による親告がなくても罰せられる可能性があります。まあ、これ書くと長くなるんで割愛しますが(営利目的かどうかとかも関わってきたりするのでね、赤い惰性日記的にこれ以上何か書くのはめんどくさいです)。
以上です😎
愛にすべてを
Somebody To Love
Queen & George Michael - Somebody To Love (Freddie Mercury Tribute Concert) - YouTube
ジョージ・マイケルが、『フレディ・マーキュリー トリビュート・コンサート』で披露したこのパフォーマンスは圧巻だった。1992年4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムに集まった錚々たるメンバーの中で、彼ほどこの日輝いていた人はいなかったように思う。この日の模様は、後に"FIVE LIVE"として、EP化されている。
- アーティスト: George Michael,Queen
- 出版社/メーカー: Hollywood Records
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1963年6月25日
イングランドへ移民してきたギリシャ系キプロス人の父キリアコス・パナイオトゥと、ユダヤ系イングランド人の母レズリー・アンゴールド・ハリソンとの間に、ヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥとして産まれた。姉はふたり、家族の末っ子で内気な少年だったそうだ。
子供のころ、僕が最も恐れていたのは、自分のとてつもない野望が、鏡に映って見える少年の手には届かないんじゃないかということだった。だから、その気になれば世界中が愛することができるような人物、僕の夢を実現して僕をスターにしてくれる誰かを、(素晴らしい友だちというイメージで)創り出したんだ。僕は彼をジョージ・マイケルと呼んだ。
『自伝 裸のジョージ・マイケル』(CBS・ソニー出版 著:ジョージ・マイケル、トニー・パーソンズ 翻訳:沼崎敦子)より
キプロス紛争から難を逃れるため、そして身を立てるためイングランドへと移住した父はレストランを経営し、キプロスで暮らしていた親族をイングランドへ呼び寄せ彼らに生活の場を与えた人物だった。決して裕福とは言えない暮らしではあったが、家族はお互いを支え合って慎ましやかに暮らしていた。
ヨルゴスに転機が訪れたのは、1975年、ブッシー・ミーズ・スクールへと入学した、まさにその日のことだった。教師が新しい少年の世話を誰に見させるか考えていたときのこと。
「そいつは新入り?」
ヨルゴスより5ヶ月早く産まれていたひとりの少年が声をかけた。アンドリュー・リッジリーは後年こう振り返っている「そいつを俺に寄越せ」。後にWHAM!を結成することになるふたりは、こうして出会った。
彼らが少年時代を過ごした時代の英国は「ヨーロッパの病人」と揶揄されるほど不況で、人々の娯楽といえば、ラジオから流れる音楽(それもビートルズの去った後、レッド・ツェッペリンはアメリカでのツアーを終えて少しの休息をとっていた頃)ベイ・シティ・ローラーズ、ロッド・スチュワート、ウィンザー・デイビス&ドン・エッスル、そしてクイーンだった。テレビでは『モンティ・パイソン』や『ドクター・フー』、映画では『王になろうとした男』、ザ・フーの『トミー』もこの年の作品だ。こうして当時の文化を眺めてみると決して暗い話題ばかりではなかったが、それでも66年のスウィンギング・ロンドンほどの活気はなかった。彼らが知り合った2年後には、財政破綻のため、国際通貨基金による援助を受けるにまで至った。
しかし、サッチャー政権発足後、フォークランド戦争での勝利、チャールズ王太子とダイアナ元妃のロイヤル・ウェディングが1982年に起こると、英国はかつての威信を(表面的には)取り戻した。ポップシーンを中心に享楽的な栄光の日々が戻ってきたのである。
「壁」を乗り越えて
ジョージ・マイケルが自分のセクシュアリティを公に告白せざるを得なくなったのは、1998年のことだ。これに関してあえて、今回は触れないが、「ゲイだ」と認めてからの彼はそれまで以上に、積極的に社会活動の幅を広げている。性的少数者であることを恥じる必要はないと明言した彼の功績は、21世紀の現在、多様性を認め合う世論の形成に大きく貢献したと言えるだろう。
しかし、彼がそこへ至るまでの間に経験したことは、あまりにも苦痛に満ちていた。1991年1月に行われた第2回ロック・イン・リオに参加した彼は現地でひとりの若いデザイナーと知り合う。アンセルモ・フェリパという男性で、彼は同性愛者だった。ふたりは恋に落ちたが、それは当時公に語れるものではなかった。
だが、先に彼の音楽キャリアを振り返っておこう。アンドリューたちと共にWham!を結成し、紆余曲折を経ながらも1981年にデビュー。瞬く間にブリティッシュ・ポップのシーンを席巻した。しかし、マネージングの方向性、自身の政治的な見解を巡って意見が対立したジョージは1986年に解散を決意。同年、敬愛するアレサ・フランクリンとデュエット' I Knew You Were Waiting (For Me) 'を発表し、ソロキャリアをスタートさせた(ただし、Wham!在籍時に発表した' Careless Whisper 'は国によっての取り扱いに違いはあるが、ジョージのソロとして発表された曲である)。翌1987年10月30日には、アルバム"FAITH"を発表。このアルバムは全世界で2500万枚以上のセールスを記録し、アメリカのビルボード誌では白人の発表したアルバムとして、史上初めてR&Bチャートで1位を獲得したアルバムでもある。ロングヒットとなり1989年にはグラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した他、数々の賞を受賞している。ファン投票で選ばれるアメリカン・ミュージック・アウォードでは、「ソウル・R&B部門」においてフェイバリット・アルバムに選ばれ、彼自身も「フェイバリット・ソウル・R&B・アーティスト」に選ばれている(同時にロック・ポップ・アーティストにも選ばれている)。彼は音楽が人種を超える物だと示した反面で、物議を醸した。グラディス・ナイト、パブリック・エナミー、スパイク・リー、ディオンヌ・ワーウィックらは、こぞってこれを批判する。「なぜわざわざ『白人に』黒人音楽の賞を与えるのか」というものだ。
余談になるが、ジミ・ヘンドリックスはかつて、自身の楽曲をR&Bの放送局がまったくオンエアーしないことに関して尋ねられたときこう答えていた。
俺たちの音楽は連中にとってはR&Bじゃないのかもな。連中の考えてるR&Bじゃないのかもしれない。でも気にはしてないよ。誰にでもチャンスは訪れるものだし。
『Rockin'on 2018年12月号』(ジミ・ヘンドリックス、ジェイコブ・アトラスによるインタビュー 翻訳:Satomi Kataoka)より
人種同士の間にある「壁」がいかに根深い問題であるかは、あえてここで言及する必要はないだろう。しかし、ジミにせよ、ジョージにせよ、彼らは音楽という表現を用いてこれを打破しようとしたミュージシャンであった。
次作となる" LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1 "は日本語にすると「偏見なしに聴いてくれ」である。1990年9月30日に発売されたこのアルバムで彼は、スティービー・ワンダーのカバー曲だけでなく、ローリング・ストーンズ、さらにはポール・マッカートニーへ捧げた曲など、彼の音楽遍歴の中で通過した「黒人音楽」、「白人音楽」への敬意を示しつつ、その融合を目指した名盤である。タイトルからも分かるだろうが、続編を構想していたものの、セールスの上では全世界で800万枚と、前作ほど売れなかった。これは、当時、所属していたレコード会社とプロモーションの方法で対立し、その後「ソニー(SME)はアーティストをアーティストとして扱わない。こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」として、SMEを相手に訴訟へと発展する。
さて、ブラジルでの恋物語について話を戻そう。こういった諸問題を抱えていた彼にとって、アンセルモとのロマンスは彼にすれば最大の癒しだったのかもしれない。当時世界中の女性ファンの黄色い声援を受けながらも、本当に愛せる人と知り合えたことで、私生活は幸福で輝かしい未来が待っていると思われた。そこには、同性愛に対する「壁」が依然として大きくそびえ立っていたが。
悲劇
そんなジョージとアンセルモの間に悲劇は、関係が始まって時をおかずに訪れた。以下は以前Twitterで、当時の心境を後年のインタビューで語った物の拙訳を再編集したものである。
覚えているよ、彼が家を出ていくときのこと、今に至るまでね。空を見上げて僕はこう言った'ダメだそんなこと、僕にしないでくれ'。
確か20...27歳でもうすぐ28歳になろうとしていた頃だけれど、その時期っていうのはさ、人生というものは、愛されるためにあるものだ、そう思うものだろ?
アンセルモはブラジルでテストを受けたんだ。僕は家族とともにクリスマスを迎えるため実家に帰ったんだけど...クリスマスを祝うテーブルについて...テーブルを囲む人達は何も知らないんだ、僕のパートナーのことについて。僕が愛した男性が末期の病に侵されているということも、そしてまた僕自身が彼と同じく末期の病かもしれないってことすら知らないんだ。あのクリスマスは、僕の人生の中でおそろしく、最も暗くて、おそろしいものだった。
そして、そんな彼に追い打ちをかけるように、ある人物の訃報が彼の耳に入ってきた。
僕の広報担当者から電話がかかってきて、僕にこう告げた「フレディ・マーキュリーが亡くなった」と。もちろん、彼がHIVで亡くなったのは知っての通りだろ(訳者注:医学的死因についてジョージはこのときに触れていない)。
僕はずっと泣きじゃくったよ。広報担当の彼女は、僕がフレディのために泣いたのだと思っていただろうね。
もちろん、フレディが亡くなったことは本当に悲しかった。けれどね、僕は同時に全く別のことを思って泣いてもいたんだよ...僕のパートナーのこと、そして僕自身もHIVだという可能性があったからね。
僕は本当に打ちのめされていた、彼が末期の病にかかっていたから。ただただ、打ちのめされていたんだ...
"FAITH"、"LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1"の世界的成功、当時UK音楽シーンで最も人気を博していた彼に『フレディ・マーキュリー トリビュート・コンサート』への依頼がきたのは必然だろう。彼の胸中を締め付けている苦悩など、誰も知る由はなかったとしても。
フレディのトリビュートでは、あったけれど、秘密の誓いも込めていたんだ。
あのパフォーマンスには誇りを持てたよ...実はアンセルモも観衆の中にいたんだ。だから、あの場でフレディ・マーキュリーに対して敬意を表したけれど、同時にそれはアンセルモのための祈りでもあったわけさ。
でもね、内心、死にたい気分だった。だから、あのパフォーマンスは僕の中にあった様々なことをひとつに纏めあげてくれたような物だったと言えるね。
僕は圧倒されてしまったんだ。僕が子どもの頃から崇拝してきた人の歌を、僕が生涯で初めて巡り会ったパートナーがこれから背負うであろう経験の末に亡くなった彼の曲を歌うことの悲しみにね。それは...ただただ、圧倒的だったね。
How George Michael sang to dying "secret first love" in audience at Freddie Mercury tribute
— ゆうすけ/U-suke@赤い惰性 AKA コネクタみみみ (@You42239282) 2019年5月23日
前にも訳したけど、動画削除されていたので、文章に起こされたやつを貼っておこう。#GeorgeMichael #FreddieMercuryhttps://t.co/Mbnx6PnC9m
先日相互フォローの方とのやり取りで確認したところ、Youtubeにて上記のインタビューをアップロードしていた動画が削除されていた。これは、元々著作権保有者の投稿したものではなかったので、当然の対応だ。
なおのこと、SONYミュージックには、彼も直接関わっていたドキュメンタリー映画を発売して欲しいと切に願っている。
愛にすべてを
誰か僕が愛することの出来る人を探してくれないかい
誰だっていい、どこだっていい、誰だっていい、見つけておくれよ僕が本当に愛せる人を
'Somebody To Love' (作詞作曲:フレディ・マーキュリー)より
ジョージ・マイケルはその後、HIVテストの結果、陰性であることが判明したが、1992年、彼が初めて心の底から愛せる人であったアンセルモ・フェリパはAIDSによる合併症、脳内出血でこの世を去った。
『フレディ・マーキュリー トリビュート・コンサート』に関するジョージ・マイケルの話はここまでだ。それ以降の彼の活動に関してはまた別の記事で取り上げたい。
ROCK JET (ロックジェット) VOL.76 (シンコー・ミュージックMOOK)
- 出版社/メーカー: シンコーミュージック
- 発売日: 2019/04/15
- メディア: ムック
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私が以前寄稿させてもらうことになった『ROCKJET(ロックジェット)VOL.76』は、あくまでも映画『ボヘミアン・ラプソディ』とクイーンの特集であったので、ジョージについては(比較的名前を出してはいるが)それほど多くを語ることが出来なかった。ブログという形ではあるが、彼のパフォーマンスが何故あんなにも素晴らしいものであったのか、ここで改めて補足して記しておきたい。
最後に「公益財団法人エイズ予防財団」のリンクを貼っておこう。映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てクイーンのファンになったという方、また僭越ながら今回の記事を読んでいただき、HIV/AIDSに対して何か行動を取りたいと思っていただけた方がいれば幸甚だ。
寄付金1000円以上でピンバッチかマグネットを返礼として、送ってくださる。
11月24日フレディ・マーキュリーの命日から世界エイズデーまでの期間レッドリボンを着けるようにしていたが、2017年からは「エイズ予防財団」から送って頂いたこのピンバッチを12月25日のクリスマスまで着けるようにしている。その理由は2016年のクリスマスに起こった悲劇に由来するが、それはまた改めて書こうと思う。
キャッシュレス社会を前に
どうも、私が赤い惰性です😎
LINE Payキャンペーン
LINE PayのキャンペーンでLINEの友人に1000円分のボーナスを送ることができるキャンペーン。2019年の5月20日11:00〜29日23:59までの期間に送受が出来るキャンペーンです。
自分は、以前からポイントサイト(ECサイトで買い物する前に経由するとポイントが貰える仕組みで主にAmazonのギフトにしています)や、auユーザーなのでauWALLETのエコシステムを利用してきたので、3月からLINE Payも利用しています。
ちょっと、「友人」(と呼んで差し支えないと思っている)のブログ記事を貼り付けておきますね。
だから情弱はいつまでたっても貧乏なんだよ - 意識高い系中島diary
別に、情弱がどうのはこの際どうでもいいのですが、今回合計で22人の友人に1000円分のボーナスを贈りました。そのうえで、呟いたのがこちら、リプライも読んでみてください。
先程も触れましたが、LINE Pay大盤振る舞いやっていますよね。
— ゆうすけ/U-suke@赤い惰性 AKA コネクタみみみ (@You42239282) 2019年5月21日
総額300億円をプレゼントというやつです。
あのですね、既に他で受け取り済みの方も何人かいらっしゃったのですが、今回22名の方に僕もボーナスお送りしました。
その中で受け取れたと仰ってくれた方1人です。
https://t.co/adGLhwETSS
問題点
- LINE社に対する不信感
- 本人確認がわかりづらい
- めんどくさい
ざっと、こんなところでしょうか。1に関しては、元々LINEが韓国企業だからという、それに触れたらめんどくさい奴らにまた絡まれそうな案件だったりするわけですが、一応今回のキャンペーンは日本法人によるものです。
【架空のAさん】
「でも結局韓国企業じゃん」
【赤い惰性】
「せやな」
分かる分かってる。だから別にやらんでもええねんて、そんなんそっちの自由やねんてw
もちろん、こんな喧嘩腰のやり取りは平和なやつがれのLINE上では発生しませんでしたよ、悪しからず😎
これは、LINE Pay始まった頃から想定していたことなので、「使う自由と権利」の話なので、別にどうでもいいんです。
問題なのは2と3だと思うんですよね。2は銀行口座の登録がアクセス集中でやりにくいことになっていると公式も言っていますね。
3が個人的には1番深刻な問題だと思っているわけですが、「めんどくさい」ってなんやねんw
「労働せずに1000円貰えるんやで?貰うといたらええやないかいな」、と赤い惰性は言いたいのです。
1は個人の自由の問題
2はキャンペーン運営の問題
3は怠惰の問題
ですよ。なんだ、お前らはとある異世界転生モノの魔女教の大司教なのか?ああん?(著作権侵害には反対なのでスクショはしませんが←)
キャッシュレス社会
やつがれが積極的、消極的なもの含めて、使っているサービスを紹介させて頂きますね。
PayPalは主に海外での取引に使ってます。楽天ペイはdiskunionとプレミアムバンダイでの決済方法として利用しています。このふたつは、クレジットカード使わなきゃいけないんですが、まあ、利用したらau WALLETクレジットカードのポイントつくんでいいですよ。あと、楽天ペイは楽天ポイントも付与されますし。
PayPayは、ヤフーカードかヤフーウォレットに銀行口座登録して使うシステムなので、ほとんど利用していません(LINE Payじゃないけど、Yahoo!JAPANに個人情報渡したくない←)。とりあえず、なにかの機会に銀行口座でも作ってやろうかなくらいの感覚です。駿河屋で使えるから導入は検討していますよ。
au PAYが個人的には激アツで20%還元があるので、今後積極的に使っていきたいなと思っている次第です。
まあ、なんやかんや言ってキャッシュレス社会ですよ。
これに、スマートフォン決済も加えてみてはいかがですか?
まあ、知らんけど
愛と追憶のウェスタン
Brooks & Dunn - How Long Gone - YouTube
Brooks & Dunnの'How Long Gone'は、カントリーを聴き始めた最初期に好きになった曲だ。1998年頃からカントリーを聴いているが、きっかけになったのは自宅に引いていたケーブルテレビの中でCMTというカントリー専門局を偶然見てからだ。それまではクイーンばかり聴いていて、音楽局のプログラムでCMTを見たのも、クイーン関係の映像を観ようとしていたからだ。
'How Long Gone'の歌詞は、当時中学生だったので完全に把握はしていなかったが、クイーンの重厚な(ときに重厚過ぎるほど)コーラスワーク、ギターオーケストレーションと比べてブルックス&ダンのこのシングルは、非常にシンプルに聴こえた。プロモーション・ビデオの雰囲気もとてもよかった。同時期カントリーのヒットチャートに入っていたのがAlan Jacksonの'I'll Go On Loving You'、今になって振り返ると好きな曲だが、チャートインしたアーティストの過去作をCMTが紹介してくれていて、むしろこちらの方が好きだった。
Alan Jackson - Livin' On Love (Official Music Video) - YouTube
大震災の後の街
当時、住んでいたのは兵庫県の芦屋市だ。毎週末、休みになるたび自転車をこいで片道1時間弱、神戸市三ノ宮、元町、新開地へと行ってはクイーンの中古レコードを探していた。阪神・淡路大震災が1995年の1月のことだったので、街のところどころにはぽっかりと空いた更地、解体途中の傾斜した建物などもまだたくさんあった。
中学校が退けて、帰宅するなりWindows95を起動しては、クイーンのファンサイトでやり取りをしていた。同時期にカントリー関連のサイトを見るようにもなった。
大阪福島駅のそばにCharlie Co、三ノ宮にはゴールドラッシュというウェスタン・ウェアの店があることを知った。どちらも自転車で行くには同じくらいの所要時間だったろうか。その頃には、すっかり上を走る阪神高速も復旧した国道43号線や国道2号線を自転車で駆けて行った。
これはチャーリーで初めて買ったJustin社製のカウボーイ・ブーツだ。店主のチャーリーさん(日本人)にネットで調べて来たこと、カントリーを聴き始めたばかりという話をして、確か、1万円くらいにしてくれた。その後も、チャーリーさんの店にはしょっちゅう通って彼が入れてくれたコーヒーを飲んで、彼のアメリカ大陸時代の話などを拝聴した。カウボーイが履くジーンズはラングラー13MWZ、などなど色々な話を伺った。
ゴールドラッシュは、三ノ宮エリアに何店舗か店を構えていたのだが、本店の社長は実にオシャレでカッコいい方だった。彼にはカウボーイブーツ選びのコツ、「お店によってウェスタンの捉え方が全然違うから自分に合った店を選ぶんだぞ」、そして「ブーツはズボンの裾からチラリと見えるステッチがカッコいいんだ」と教わった。数年後、残念ながら社長は、闘病の末がんで他界したと、奥様からお伺いした。
あれから20年以上経つがもちろん、現役だ。ゴールドラッシュの社長の教えも守っている。大阪梅田には、現在、阪急メンズ館になる前から、Funnyという店がある。これは、東京ディズニーランドのそばにあるイクスピアリ内に支店もあるので、関東に越してからも世話になっているが、ガラスケースの中に並ぶとても中学生には買えない純度の高いシルバーのバックル、棚にズラリと並んだオーストリッチやクロコダイルの革をおしげもなく使ったカウボーイブーツ、そしてハット、店内に入るだけで大阪からテネシーを訪れたかのような気分になる。いまでも、ごく稀に帰阪するときは必ず寄っている。
アラン・ジャクソンのシグネチャーモデルのハットを買ったのは、Funnyだ。
新曲はまだか?
クイーンに関しては1995年のアルバム"MADE IN HEAVEN"からだったので、1997年には"QUEEN ROCKS"その後、ブライアン・メイの"ANOTHER WORLD"、ロジャー・テイラーの"ELECTRIC FIRE"とソロ作を手に入れつつ、過去作をたどるより他なかった。リアルタイムで聴くことが出来たクイーンとしての新曲は'No-One But You'のみだ。しかし、彼らの新作はどれだけ待っても期待することが出来ないのは分かっていた。
フレディ・マーキュリー亡き後、クイーンのファンになった自分にとって毎週楽しみに出来る音楽のジャンルはカントリーになっていた。余談だが、ジョージ・マイケルもその頃に"LADIES AND GENTLEMEN"、翌年には"SONGS FROM LAST CENTURY"を出してくれているが、SONYミュージックとの訴訟などで、新作の発表がかなり制限されていた時代でもあった。新曲を期待するというのは、望めない、もしくはそれが難しい人達のファンになったものだと改めて思う。
ともあれ、それ以降、自分はカントリー・ミュージックをメインのジャンルとして聴いている。よく聞かれるのだが、「クイーンはどのアルバムを聴くんですか?」答えはいつもこうだ「脳内でコーラスの和音からギターソロまでいくらでも自動再生出来るから、カントリーしか聴きません」。たまには聴くけれど、稀だ。
Brooks & Dunn - Missing You - YouTube
「ハウ・ロング・ゴーン」が収録されていたアルバム'IF YOU SEE HER / IF YOU SEE HIM'の後、毎週観ていたCMTのヒットチャートに登場したのがこの'MISSING YOU'だった。VHSに録画して、赤と白のプラグをデッキの裏側にさして、録音機能つきMDへ取り込んだ。このジョン・ウェイトが80年代に出した曲のカバーを含むアルバム"TIGHT ROPE"は当時、かなり評価が低かったのだが、幸か不幸か新参者にしてFar Eastの住民で、さらにはいまほど情報もない時代の自分にとっては、待ちに待った新作だった。同じ頃アラン・ジャクソンは"UNDER THE INFLUENCE"という往年のカバーソング集を出していて、チャートは賑やかだった。ブラッド・ペイズリーが新入りだった時代のことだなんて、いまにして思い返せば笑えてしまう。
そしてイングランドへ
2000年からイングランドの高校に進んだ。日本人学校だが、なんだかんだ言ってもクイーンが好きなのだ。やることと言えば毎週末ロンドンの中古レコード店へ行って過去作を探すという、芦屋に住んでいた頃と大して代わり映えのない日々だったが、ピカデリーサーカスのタワーレコードで、必ず目を通すのがカントリーのコーナーだった。困ったことに、自宅と違ってCMTが観られないのだ。もちろん、夏や冬の長期休暇には帰国しているので、まとめて確認はするのだが、実際、イングランドで最新のカントリー・ミュージックのヒットチャートを確認するというのもおかしな話である。ただ、ありがたいことに、同じ英語圏であり愛好家が日本よりも多いのだろう、タワーレコード、HMVどこの店でも確認はできた。
ただし、ロックをまったく聴かないわけではない。当時デビューしたばかりだったTHE VINESのデビュー作"HIGHLY EVOLVED"はいまでも、最高に好きだ。
The Vines - Get Free - YouTube
残念ながら、彼らは半ば活動休止状態で、本当にロックやポップに関しては巡り合わせが悪い気がする。
解散
日本に帰ってからも、カントリー、主にアラン・ジャクソン、ブルックス&ダン、ジョージ・ストレイト、ガース・ブルックス、ブラッド・ペイズリー、リーバ・マッキンタイアらに、レディ・アッテンボロー、その他諸々よく聴いて過ごした。
学生時代も終わり、社会人になっていた。911のテロの後、アフガニスタンやイラクでの戦争を経て、カントリーというジャンル愛好家として色々な政治的対立なども見てきた。「大人になったんだよ」とため息混じりに苦笑いを浮かべていた2009年のある日、予想外のニュースが飛び込んできた。ブルックス&ダンの解散である。90年代から2000年代、自分の音楽人生を支えてくれたデュオの解散はショックだった。"LAST RODEO"と銘打たれたツアーを最後に彼らは解散した。
Brooks & Dunn - Indian Summer - YouTube
これが当時彼らが出した再後期の新作'Indian Summer'だ。中学、高校、大学(これは1年だけだが)、そして社会人となってからもロマンスの背景音楽にはロニーの艶と哀愁に満ちたボーカルがあった。恋だけではない、仕事、人間関係、そして猫を飼ったり、色々なことがあった。ある時代の終わりに、(日本語にすると「小春日和」となってしまうが、「インディアン・サマー」はそのまま使いたい)ふいに舞い戻ってきた熱情を感じた。当たり前のように、そこに居たものとの別れが来るとは胸に込み上げてくるものがある。そして、彼らは人気の絶頂でシーンを降りた。
だが、幸いなことに、ロニー・ダンはその後すぐにソロ作をリリース、キックス・ブルックスもそれからしばらくして新作を出してくれた。
#REBOOT
世間(というよりもやつがれのTL)が、『ボヘミアン・ラプソディ』旋風で賑わっているさなか、2019年の2月に信じられないツイートが流れてきた。ブルックス&ダンが再びスタジオに入るというのだ。
実際には解散の後もリーバと共に3人でベガス公演をしたり、CMAなどに顔を出していた2人だったが、まさかの新作である。
実際には、デビュー作から解散までの間に彼らが飛ばしたヒット曲を、ルーク・コムス、ミッドランド、アシュリー・マクブライドら若手のシンガーやバンドとのコラボレーションするような形ではあったが、新作は新作である。
公式オンライン・ストアで2人のサイン入りCDが発売されていたので、迷うことなく購入した。
How Long Gone ?
どれだけ俺はちゃんとプランを立てた?
ろくに理解できてもいなかったくせに
愛しい人、もしも帰ってきてくれるなら
どうか俺に教えておくれ
教えておくれ、君がどこまで遠くへ行ってしまおうというのか
時間の流れはときに残酷だ。いまとなっては、去ってしまった恋人たち、友人たち、二度とは会えないゴールドラッシュの社長、そして3月に息を引き取った最愛の黒猫フェリックス。これからも、この人生は続いていくけれど、音楽を聴けばいつでも思い出すことが出来る。ただ最後に笑顔でこう叫びたい。
Welcome back Kix and Ronnie !!
小沢健二2019年活動開始!!
2019年(比較的)もうすぐ始動
※4月6日Amazon商品ページ追加
4月4日、これまでDLCとして配信されていたのが、apple musicだけだった小沢健二の楽曲が、それ以外の媒体でも販売され始めた。私はauユーザなので、auのMusic Storeで購入してきた。
またオフィシャルYoutubeチャンネルには、新曲と思しきショートフィルム「飯倉片町藪蕎麦前 Iigurakatamachi Azabudai Yabu Soba Mae」が公開された。
Ozawa Kenji Iigurakatamachi Azabudai Yabu Soba Mae 小沢健二飯倉片町藪蕎麦前 - YouTube
動画の最後には
2019
COMING
(RELATIVELY)
SOON
とネオンで告知があった。
小沢健二と過ごした時代
遡ること、24年前、1995年毎週のヒットチャートを賑わせていたのは安室奈美恵、スピッツ、Mr.Children、そして小沢健二たちだった。このブログの読者の方々の年齢層は分からないが(ブログを書いている以上読者の方がいると私は考えている)、小沢健二について知らない方の方が多いのではないかと思う。
当時小学5年生だったが、クラスの中でヒット曲の話をして盛り上がるというのは、ごく普通のことだった。この頃では、自分の好きなアーティストの話題はインターネット上でするような気風があるように感じる。テレビというメディアの権威が最も高かった時代かもしれない。群雄割拠のアーティストたちの中で、私が好きだったのは小沢健二だった。その後、洋楽をメインに聴くようになるのだが、そのきっかけが小沢健二だったといまは思っている。
しかし、1998年、彼は人気の絶頂にいながら突如として姿を消した。前年に発表した「ある光」これは小沢健二の祖父、下河辺孫一に捧げられた曲だ。歌の端々に擦り傷のような、痛みを感じる。「強い気持ち・強い愛」に見られた軽快さ、「ラブリー」の人生を謳歌する姿とはまるで違う、傷ついた若者の姿がそこにあった。当時、彼の周囲に何があったのか詳しくはわからないが、なにかがきっかけとなり、第一線から退くことを決意したのだろう。
1995年前後の本当に短い期間だけだが、確かに小沢健二は私の人生の一部だったし、その大部分でもあった。1998年以降の空白をクイーンが埋めたわけだが、そんな彼が2017年に「流動体について」で久しぶりに音楽シーンへ復帰した(それまでも単発的に音楽活動はしていたが)。空白の19年間を経て、かつて29歳だったオザケンは49歳に、13歳だった私は33歳になっていた。4日しか誕生日が違わないので、もうすぐ彼は51歳に、私は35歳になる。そんな今、1995年に録音された「強い気持・ち強い愛」(これは2018年の映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の主題歌にもなっている)の「DAT MIX」を聴きながらいまこの記事を書いている。
溢れる光
公園通り
新しい神様たちが
パーッと華やぐ魔法をかける
いまも、この魔法は解けていないらしい。もうすぐ何かが始まる、そんな期待を寄せることの出来る音楽家と、同じ時間を生きられることの幸福を噛み締めながら今日はここまでにしておこう。書きたいことはたくさんあるけれど、この喜びを書き記しておくだけに留めておかなければ、いつまでも終わりそうにない。
ロジャー・テイラー全曲解説「序」
クイーンファンの方へのアンケート
— 元ゆうすけ/EX-U-suke@赤い惰性 (@You42239282) 2019年4月2日
どっちがいいですか?
ブログに書きますwhttps://t.co/chCoTe6SdM
2019年4月1日にロジャー・テイラーが突然ソロ曲を発表した。毎度毎度のことながら、なんの前触れもなく彼はやってくれる。
Roger Taylor - Gangsters Are Running This World (Official Lyric Video) - YouTube
「Gangsters Are Running This World」
通りには血が流れ
狂騒が空気を支配している
マーケットの高騰も
恐怖と狂気によるものだ
ベッドに横になり
思考を休めようとする
心配ごとが山積みで
胸を締め付ける
悪党どもがこの世界を駆け回っている
叫び声を上げたとしても
誰の耳にも届かない
悪党どもがこの世界を駆け回っている
非常に、ロジャーらしい歌だ。現代社会の一面に対して、問題提起をしながら、あくまでもエンターテインメントとしてわれわれに提供すべく、コード進行、メロディ、そしてインストゥルメンタルからバッキングボーカルまで、無駄なく構築されている。
愛の翼にのって飛び立ちたい
顔に吹き付ける空気を綺麗にしたい
境い目だって壁だって
全て取り払ってしまいたい
人類の一員でありたいと願っている
愛の翼にのって飛び立ちたい
希望という名の道を駆け抜けたい
愛の翼にのって飛んでゆきたいんだ
ここでロジャーは、飾り気もなく率直に自分の願いを歌にのせている。ただ、そこへたどり着くまでに積み重なる歌詞の重みはなかなか現実的で、苦味深い。近年のインタビューなどを見ていても、あまり多くを語らない彼は、やはりミュージシャンなのだ。
重大で深刻な問題
「全曲紹介するぞ」と言ったものの、困ったことに、実は、ロジャー・テイラーのことをそれほどよく知らないのだ。クイーンではなくフレディ・マーキュリーのファンである私にとって、実は一番遠い存在だったのかも知れない。もちろん、クイーンと知り合ってから今に至るまで、この24年間、彼のソロが出れば必ず確認していたし、彼がクイーンの活動と並行して組んでいたザ・クロスというバンドの楽曲も含めて、全て聴いてはきたのだが、改めて向き合おうと思った。そのきっかけになった件については、一連の記事の最後に書こうと思う。
なにしろ、最も多作であり、現役で活動をしている音楽家の作品群について書こうというのだから、一朝一夕で書ききれるとは思わない。しかも、困ったことに、求められるインテリジェンスが極めて高いのだ。
オスカー・ワイルド、レッド・ツェッペリンに出会う
『イニュエンドウ』の印象について聞かれたとき、ロジャーは簡潔にそう答えている。私はこれまで、英国、日本を中心にこのアルバムに関して評価する内容の言説を、それこそ1990年当時の文献や、1991年以降の文献を含め様々見てきたが、これほど端的に核心を突いている言葉と未だに巡り会っていない。
目次
- 序
- 1970年代
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年代
- 2010年代
- 急
7つに分けて書こうかと思う。ただ、あくまでも予定なので、実際にどうなるかはわからない。もう少し短くなるかもしれない。
次回予告
「1970年代〜サイケデリックなロンドンが呼んでいる〜」
お楽しみに😎