小沢健二2019年活動開始!!
2019年(比較的)もうすぐ始動
※4月6日Amazon商品ページ追加
4月4日、これまでDLCとして配信されていたのが、apple musicだけだった小沢健二の楽曲が、それ以外の媒体でも販売され始めた。私はauユーザなので、auのMusic Storeで購入してきた。
またオフィシャルYoutubeチャンネルには、新曲と思しきショートフィルム「飯倉片町藪蕎麦前 Iigurakatamachi Azabudai Yabu Soba Mae」が公開された。
Ozawa Kenji Iigurakatamachi Azabudai Yabu Soba Mae 小沢健二飯倉片町藪蕎麦前 - YouTube
動画の最後には
2019
COMING
(RELATIVELY)
SOON
とネオンで告知があった。
小沢健二と過ごした時代
遡ること、24年前、1995年毎週のヒットチャートを賑わせていたのは安室奈美恵、スピッツ、Mr.Children、そして小沢健二たちだった。このブログの読者の方々の年齢層は分からないが(ブログを書いている以上読者の方がいると私は考えている)、小沢健二について知らない方の方が多いのではないかと思う。
当時小学5年生だったが、クラスの中でヒット曲の話をして盛り上がるというのは、ごく普通のことだった。この頃では、自分の好きなアーティストの話題はインターネット上でするような気風があるように感じる。テレビというメディアの権威が最も高かった時代かもしれない。群雄割拠のアーティストたちの中で、私が好きだったのは小沢健二だった。その後、洋楽をメインに聴くようになるのだが、そのきっかけが小沢健二だったといまは思っている。
しかし、1998年、彼は人気の絶頂にいながら突如として姿を消した。前年に発表した「ある光」これは小沢健二の祖父、下河辺孫一に捧げられた曲だ。歌の端々に擦り傷のような、痛みを感じる。「強い気持ち・強い愛」に見られた軽快さ、「ラブリー」の人生を謳歌する姿とはまるで違う、傷ついた若者の姿がそこにあった。当時、彼の周囲に何があったのか詳しくはわからないが、なにかがきっかけとなり、第一線から退くことを決意したのだろう。
1995年前後の本当に短い期間だけだが、確かに小沢健二は私の人生の一部だったし、その大部分でもあった。1998年以降の空白をクイーンが埋めたわけだが、そんな彼が2017年に「流動体について」で久しぶりに音楽シーンへ復帰した(それまでも単発的に音楽活動はしていたが)。空白の19年間を経て、かつて29歳だったオザケンは49歳に、13歳だった私は33歳になっていた。4日しか誕生日が違わないので、もうすぐ彼は51歳に、私は35歳になる。そんな今、1995年に録音された「強い気持・ち強い愛」(これは2018年の映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の主題歌にもなっている)の「DAT MIX」を聴きながらいまこの記事を書いている。
溢れる光
公園通り
新しい神様たちが
パーッと華やぐ魔法をかける
いまも、この魔法は解けていないらしい。もうすぐ何かが始まる、そんな期待を寄せることの出来る音楽家と、同じ時間を生きられることの幸福を噛み締めながら今日はここまでにしておこう。書きたいことはたくさんあるけれど、この喜びを書き記しておくだけに留めておかなければ、いつまでも終わりそうにない。