赤い惰性日記 / Red Inertia’s Diary

徒然なるままに惰性で😎

意識高い系中島「旅を語ろう」

 3/29、数日前とはうってかわって寒さが舞い戻った街に赤いレザーのジャケットを羽織って出かけた。15:00から川崎の病院へ行くのだ。終わったら、弟の結婚式へ着て行く礼服を取りにいかねばならない。

 17:00を過ぎたあたりでLINEを送る。ようやく長い病院が終わった。1時間半以上は待合室のソファに腰掛けていたが、診察は10分ほどだ。礼服はおろか薬を受け取る時間もなない。私は、意識高い系中島主催のイベント「旅を語ろう」に参加することになっている。

https://twitter.com/Nakajima_IT_bot/status/1110717570850549760

 幸い、川崎駅から会場までは30分ほどだ。しかし、この日のために作成したGoogle Driveのスライドがなかなか共有出来ない。移動しながら何度も試したが、結局会場に着いてからようやくPDF形式で共有することができた。このあたりについては、個人的に課題としておきたい。

f:id:FujiyugaokaUsuke:20190329231244j:image

 これは今回使用しなかったベルゲンとオスロの写真だが、私が語ろうとしている時期は2000年から2003年の間、まだデジタルカメラよりもフィルムカメラの方が主流だった時代の光景だ。現像しておいた写真を、スマートフォンのカメラで撮影するという作業は実に億劫である。

 

 

 トリミングや、スタンプを貼り付けるために、Twitterを経由して作業をしたあたりは、「ツイ廃」、「ツイの聖(ひじり)」を自称するだけのことはある。実にやりやすい。

 

 意識高い系中島主催のイベントに行くのはこれが2度目だ。前回は、都内で行われた「平成最後の忘年会」に参加した。そもそも「ネタ・アカウント」だった意識高い系中島ブログ、意識高い系中島botというフィクションが、バーチャルな世界を通じて広まり、リアリティを伴ったとき、そこには実体を持つメタフィクションが現出していた。本当に、「意識高い系」なのである。いやさ、この言葉が、自嘲したり、冷笑的に使われているのもまた事実だが、その後のイベントも含め参加者が皆一様に「行ったら本当に意識高かった」とツイートするのを見かけてきた。

 今回、「旅を語ろう」というお題だったので、イングランドを中心に欧州諸国を旅した高校時代を振り返りながら、私もプレゼンをさせてもらった。「中の人」には、改めてこの場を借りてお礼申し上げたい。いみじくも松尾芭蕉は『奥の細道』冒頭でこう言っている。

 

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

 私も月日と同じくらい遠くまで来たものだ。プレゼンをする前に聞いてみたが、会場に来ていたのは10代、20代の方ばかりである。30代以上の年齢は私くらいだった。f:id:FujiyugaokaUsuke:20190330004851j:image

 今回の資料作りに際して、写真や書類などをあさっていて掘り起こした、私の師父が送ってくれたエアメールに記されていた言葉を彼らに伝えることが出来て良かったと思っている。かつて10代だった私にあてたその言葉は、これから人生という旅をする若者たちにとって伝えておく価値のある言葉だろう。

 そういえば、伝え忘れていたような気がするがこのカードの絵は師父の筆によるものだ。

 

 若い人たち、と私が言うのもおかしな話だが、19年前にはまだ産まれていない人も参加していたことを思うと、そう言わざるを得ない。こんな老人のぼやきに付き合ってくれた方々、本当にありがとう。

 主観的な振り返りばかりになってしまったが、私のほかにプレゼンを披露された方達の話も実に興味深いものだった。おそらく、中島がまとめてくれるだろう。

 個人的に、「長期間滞在すべき」という意見には大いに同意する。また「トラブルもありますが素敵な出会いもたくさんあります」という言葉は旅の醍醐味だ。私も次にどこかへ旅をするときは「現地で出会った人とツーショットで写真を撮る」ことを実践してみたいと思う。

 

 最後に「意識高い系中島diary」のリンクを貼っておく。彼は、私にとって情報発信の術をコミカルに、また誠実に教えてくれる年下の師だ。何かを学ぶことに、相手の年齢は関係ない。

http://www.nakajima-it.com/

 

ところで、中島ー!次の野球はマネージャーとしての参加でもいいのかー!‍?