赤い惰性日記 / Red Inertia’s Diary

徒然なるままに惰性で😎

セクシュアリティについて

性自認とはなんぞや

 まあ、色々なところでプロフィールに書いてありますが、私バイセクシャル(両性愛者)でしてね。かと言って、年齢も年齢(執筆時34歳)なので、いまさら放埓さや、刹那的な快楽に溺れるなどという破廉恥なことはありませんが。

 「桜を愛でるように男性を、梅を愛でるように女性を愛す」これが私の考え方です。

 1999年、初めて男性に恋をしました。叶わぬ恋でしたけどね....とはいえ、何事もなかったとは言いませんが....

 まあ、それなりに悩みましたよ。性自認という点で。ただ、同時期にジョージ・マイケルがLAでの醜聞の末に強制カミングアウトの憂き目にあったことがありました。彼は元ワム!のシンガーであり、(これは日を改めて記事を書きますが)『フレディ・マーキュリー トリビュート・コンサート』で「愛にすべてを 'Somebody To Love'」を熱唱していたので知っているシンガーのひとりではありましたが、それほど詳しくはありませんでした。そんな彼が、先述の醜聞(男子トイレで覆面警察官に対して強制わいせつを行ったとして逮捕された事件)の後に、この曲を発表したわけです。

George Michael 'Outside' '1998

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George Michael - Outside (Official Video) - YouTube

 

 見事なまでのパロディ精神。自虐の極みです。「外に出ようぜ」、LAPDのモーターサイクル・デパートメント職員に扮してディスコへ変貌した「男子トイレ」で歌い踊るなんて、並の精神力ではありません。

 

Freddie Mercury 'The Great Pretender' '1987


Freddie Mercury - The Great Pretender (Official Video) - YouTube

 

 こちらは、敬愛するフレディ・マーキュリーによるザ・プラターズのカバー曲「グレイト・プリテンダー」なわけですが、これもまた自虐、自嘲の極みです。もっとも生前彼はカミングアウトをしていなかったわけで、PVの中での「女装」、クイーンやソロキャリアで自ら演じた様々な「役柄」を演じているに過ぎませんが。

 このふたりのシンガーが示してくれた開き直り方、自虐精神、自嘲することによって周囲の偏見をも笑い飛ばすというスタンスが、性自認に苦悩する少年だった赤い惰性の目にはなんと、美しく、格好よく映ったことか。以来、別に自らのセクシュアリティに関して悩むようなことはありませんでした。

 周囲の友人たちにも恵まれていたとは思います。また、父親がアパレル関係の仕事をしていたこともあって、我が家では「ホモセクシュアル」に対する偏見があまりなかったこともあったかもしれません。「皇帝」イヴ・サン・ローランカルバン・クラインらと仕事をしてきた父でしたし、ブランドの立ち上げから間もなくエイズによる合併症で亡くなったビル・ロビンソン(CK、YSLの元主任デザイナー)とは友人同士でしたし、トミー・ヒルフィガー(彼はストレートですが)もそうでした。あの時代、ニューヨークやパリ、ミラノ、香港でファッション・ブランドに関わっていた人たちの中にはそういったセクシュアリティの方々が多かったので、偏見などを持っていては仕事になりません。もっとも、昭和7年鹿児島県の豪商の家に生まれ、薩摩藩家老も務めた前田家に養子として入った父のことなので、なんの偏見もなかったとは思いませんが。

 少し話が逸れましたが、1999年当時、父は既に他界していましたので、直接は関係ありません。ただ、背景としてそういうものだったという話です。

LGBTQ

 個人的に最近の「トレンド」としてよく出てくる「LGBTQ」のアクティビスト達に対して個人的に何一つ共感することがないことも、ここで明言しておきましょう。もっとも、自身の性自認について悩んでおられる方がいらっしゃるのは事実ですし、それを苦に自ら命を絶ってしまうという報道などがあると、胸を痛めることはあります。

 ただ、私の場合、彼ら彼女らと決定的に違うのが、苦悩の程度があまりにも低いという点です。また、「アライ」とかいう「僕は/私はマイノリティの方々に対して理解を示していますよ」という人たちに対しても、なにやら違和感を覚えます。私の友人などは、「友達のセクシュアリティなんて別に、人間として付き合っていくなかでそんな関係ないよね」と言ってくれています。わざわざ押し付けがましく「理解者面」されるなど、むしろ不快ですらあります。

 

プライド

 欧米の性的少数者が「プライド」を持つこと、それを旗印にパレードや人権運動をしていることに対しては、少なからず共感はしています。彼ら/彼女らは宗教的迫害を受けてもいましたし、自尊心を奮い立たせる必要があったとも理解しています。ジョージ・マイケルもまた、こうした偏見と戦ったシンガーでした。ただ、曰本の場合はどうでしょう‍?

 ストレートの友人に「普通」と言われたとき、必ず返す言葉がありまして「歴史的に見れば俺の方が普通だぜ」。性的少数者に対する弾圧も明治以降も以前も、曰本ではそれほど激しくありませんでした。神道にせよ、仏教にせよ、「同性愛は禁忌である」と明言した宗教も実に少なかったこと(無論、宗派や、教義の解釈にもよりますが)、また、「衆道」、「男色」などが文化として定着していた、実に開放的な社会だったと認識しています。もちろん、当時の社会体制と現代のそれとをそのまま比較することはすべきではありませんが。

 曰本で、「プライド」という言葉を使うことは、果たしてどれほどの意味があるのか分かりかねます。異性愛者に対して「プライドを持て」など言いませんよね‍?彼らがごく自然にそうであるように、私もまたごく自然に両性愛者なのですから。

 曰本の活動家の理念や思想を理解出来ません。する気がないわけではありませんが、自己体験との間にある乖離があまりにも大きいのです。

 

「外に出ようぜ」

 ここまで読み進めてこられた方の中には、「いや私は苦しんでいる、そんなこと言わないで」とお感じになられた方もおられるかもしれません。何も、あなた方を批難する気など微塵もありませんよ、私だって当事者なのですから。ただ、あなたが苦悩しているのなら、あなたの周囲の「外」へ出ることをお勧めします。「それができれば簡単だよ」と反論されそうですが、あれこれと懊悩して苦しむくらいなら「外へ出ようぜ」と誘ってくれるエンターテインメントへと現実逃避をしてみればいいのです。

 別に、ホモ(個人的に古い人間なので、ゲイというのはむしろ侮蔑的な言葉に感じる)だろうが、バイだろうが、レズだろうが、トランスセクシュアルだろうが、ノンケだろうが、みんな個人個人、心の中に闇は抱えながら生きていますよ。私もですとも。けれど、悩んでいる時間より、楽しんでいる時間を多く持つ方が健全ですよ。少なくとも「うちはLGBTQフレンドリーですよ」なんて言っている会社より、個別具体的に悩みを聞いてくれる友人を見つけ出す方がよほど価値がありますよ😎

 さあ、「外へ出ようぜ!!」そろそろ、梅も桜も咲き始めた頃合だよ!!


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